ふじや千舟

支倉焼

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支倉焼

国史に名高い支倉常長の偉業をたたえ名付けられた「支倉焼」

「支倉」とは、今から三八十余年前、スペイン領国との通商交渉のため、伊達政宗の命により仙台領月ノ浦から船出した慶長遺欧使節・支倉常長のこと。東西交流のため奔走した常長の偉業を思い、和洋織りなすこの菓子の名に冠しました。

ふじや千舟の50年はひたすら手作りへのこだわりでした。

ふじや千舟の50年はひたすら手づくりへのこだわりでした。

開業当時の本店

先代・佐藤長清

開業当時の職人

先代・佐藤長清が戦地から引き上げ、現在本店がある場所に煙草屋「ふじや」を開業したのが昭和24年のことです。煙草のほか、パンやキャラメル、チョコレートなども置き、当時向いにあった宮城学院の学生たちがよく利用していました。

キャラメルやチョコレートなどを商ったのがきっかけとなり、いつしか長清は「オリジナルな今までにない菓子をつくりたい」と思うようになっていました。

昭和29年、和菓子職人を招き、自分の店で菓子をつくり始めたのです。

支倉焼の完成。試食のため自信作をたずさえ上京。

昭和33年7月29日 河北新報に新聞広告を掲載

昭和33年「支倉焼」が完成。長清はその自信作をたずさえて上京し、当時食通として有名だった随筆家・福島慶子さんに試食をお願いしました。

「なかなかいいじゃない。あんも親切にできている」との高い評価に長清は発売に踏み切ることに。

福島さんの心強い太鼓判のとおり発売当初から大当たり。美味しさが評判になり、配達も自転車からスクーター、自動車へと変わりました。

支倉焼一品への決断。変わらない手作りの美味しさ。

手作り写真

昭和38年、商売は順調で、品切れになることもたびたび。このままではお客様に迷惑がかかる。「手を広げ過ぎて、間に合わせの品をだしたのでは申し訳ない」と、商品を支倉焼1品に絞ることになりました。

フレッシュバターと卵、ざらめを練り上げ『かわ』になる『タネ』をつくる。

その『タネ』でクルミの入った白あんを包み込む。木型に入れて形を整え「支倉焼」の文字を浮かび出させる。これからもずっと一品一品手づくりで、いつまでも変わらない美味しさお届けします。

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